亡くなってから10年経った現在でも、伝説のモデルとして語り継がれている山口小夜子さんについて紹介していきます。
世界的なファッションモデルとして活躍した、山口小夜子さんの夫や晩年の活動について紹介しておきます。
また、モデルとして活躍していただけあり、綺麗であるのですがすっぴんの綺麗さも絶賛されていました。すっぴんとメイクした顔の違いについてもみていきます。
山口小夜子プロフィール
名前:山口小夜子(やまぐち さよこ)
生年月日:1949年9月19日
出身地:横浜市
身長:170センチ
出身高校:京浜女子大学横浜高等学校
専門学校:杉野学園ドレスメーカー女学院
世界的なトップモデルへかけあがり、モデル引退してからも活躍をさていました。
モデル引退してからの経歴もみても凄いですね。
・1989年NHK音楽ファンタジー「カルメン」(佐藤信演出)は、国際エミー賞を受賞。
・1998年フランスリヨン国立歌劇場世界初演、オペラ「三人姉妹」(天児牛大演出)で衣裳・ヘアメイクデザインを担当し、フランス批評家協会最優秀作品賞を受賞
・2001年ロンドンのTHEATREROYALDRURYLANEにて「AMATERASU」主演。日本的な独自の個性の不思議さを、世界基準の美しさに転化させるアーティストとして活躍
そんな伝説のトップモデルであった山口小夜子さんは、突然この世を去りました。
2007年8月14日 57歳と若すぎる旅たちとなりました。
自宅で亡くなり発見が3日後にとあり、孤独死と騒がれました。
死因は急性肺炎でした。
山口小夜子結婚していたの?
山口小夜子さんは生涯独身でした。そのため旦那(夫)はいません。
山口さんが世界のトップモデルへ押し上げたのは、世界的ファッションデザイナーの山本寛斎さんの影響が大きかったと言われており、同時にお二人が深い中だったのでは?という噂もありました。
ただ、この辺りの真相はお二人にしかわからないですが。。。。
山口小夜子さんはこんな言葉を残しています。
だから私は寛斎さんに拾われたの。もしあの時、寛斎さんのオーディションに行っていなかったら、私はモデルを辞めていた。
この言葉からも二人の関係性が特別なものであったと想像でしますね。
山口小夜子さんの晩年の活動は?
山口小夜子さんは、晩年の活動は女優として映画などの出演していました。
実際、亡くなる1週間ほど前には、映画「馬頭琴夜想曲」の撮影に参加していました。
さらに、言葉を用いたパフォーマンスの構成・演出・出演を行い、映像作家や音楽家とのコラボレーション作品を次々と制作したり、SAYOKOブランドのプロデュース、雑誌の連載を企画するなど活躍をされていました。
山口小夜子すっぴんが綺麗
山口小夜子さんのメイクは、切れ長の鋭い目つきが特徴です。
マツコデラックスさんも、山口小夜子さんを絶賛していましたね。
マツコさんが、テレビ番組で山口小夜子に関して語った部分を紹しますね。
彼女は本当にスーパーモデル。エビちゃんとか押切もえとか、あーいうのをモデルとみんな思っているだろうけれど、山口小夜子さんとは次元が違う!
アタシ物心ついたころには、高田健三さんや三宅一世さん森英恵さんが活躍してて、そいで、山口小夜子さんが資生堂のポスターになっているのを見て、恐ろしさというか・・・単純にキレイというレベルじゃなかった。
でも、今ってマスに訴えたいばかりに、消費者の望むものか、ちょっと遅れてるものを作るってことしかしないよね。
クリエイトするってことがさ。
山口小夜子さんは、あのころ、狂気というか、怖いって言うか、くやしかったらここまで登って来なさい、ってのがあったよね。
ところで、マツコさんが絶賛していた山口小夜子さんは、すっぴんはメイクの時とは雰囲気が違うようです。
すっぴんは綺麗という方も多いみたいですね。
山口小夜子さんのすっぴん画像は色々探してみましたが、確認できたのは以下の写真くらいでした。
こちらは、モデルになる前の高校生の時の写真のようです。
メイクした時と目元の感じは全然違いますね。すっぴんも綺麗な美人さんです。
まとめ
世界のトップモデルにまで駆け上がった山口小夜子さんの夫や晩年の活動について振り返りました。
また、山口小夜子さんのすっぴんの綺麗な顔とメイク後の顔の違いも確認してみました。
最後は自宅で孤独死の状態で見つかった山口小夜子さんですが、もっともっと活躍してほしかったですね。