ノーベル文学賞の受賞が今年こそはと言われていた村上春樹さんは落選!
カズオ・イシグロさんが、ノーベル文学賞を受賞しました。
カズオイシグロと聞くと日本人?と思われたかたも多いのではないでしょうか。
こちらの方です。外見は日本人ですね。
でも、日本人ではないです。
国籍はイギリスで日系イギリス人です。
親が日本人?ご家族は子供さんがいるのか?
日本の大学で教育受けていたのか?受けていたら大学はどこなのか?
などなど気になること調べてみました。
カズオ・イシグロさんがノーベル文学賞を受賞したきっかけとなった作品や、これまで世に出してきた作品を紹介します。
目次
カズオ・イシグロさんはどんな人?
1954年生まれ。長崎県で生まれて5歳まで日本にいたそうです。
日本の幼稚園に通い5歳の時に両親の仕事の関係で渡英して、その後イギリスで過ごされているので、日本語はあまり話せないそうです。
1982年にイギリスに帰化しています。
日本名は、石黒一雄さんで、ご両親はお二人とも日本人です。
本人も、6年前に来日した際に、「幼いころにいた日本の記憶がよみがえってくるようで、ほかの国に行くのとは全く違った感じです」と、日本への特別な思いを語られていました。
カズオ・イシグロさんのお父さんは、海洋学者で北海油田の調査でイギリスに渡り、その後日本へ帰国しなかったため、今日までイギリスで生活をされてきたそうです。
ご家族ですが、
1986年に、イギリス人のローナ・アン・マクドゥーガルさんとご結婚されています。子供は娘さんが一人いて、ナオミさんというお名前だそうです。
エピソードとして、娘の名前を付けるのに「ナオミ」と「アサミ」で夫婦で喧嘩となり離婚か?というところまでいったらしいです。
その際に、二人が離婚まで至らなくて済んだのは、友人の言葉があったからだそうです。
アサミはサダムとアサドを足して二で割ったような感じに聞こえるな、だいいち、アサドはシリアの独裁者じゃないか
ということもあり、名前は無事「ナオミ」となったそうです。
海外の大学を卒業されています。
1978年にケント大学英文学科、1980年にイースト・アングリア大学大学院創作学科を卒業。
ケント大学というのは、比較的新しい学校で創立は1965年で国立大学です。
最新調査結果によると、ケント大学の教育水準は、全英ランキング17位です。
イースト・アングリア大学は、イギリスの大学の中でも名門で、大学による研究活動のうち8割以上が世界トップレベルであるか国際的に優れていると評価されています。
イースト・アングリア大学の卒業生としては、ポール・ナースというノーベル賞受賞の化学者がいるようです。
さて、
カズオ・イシグロさんの話に戻すと、
もともとミュージシャンを目指していたそうです。
結果ミュージシャンの道は諦め作家へ転身されたようです。
カズオ・イシグロさんの作品について
カズオ・イシグロさんは、長編小説を得意とする作家です。
これまでも数々の作品を生み出してきました。
1982年デビュー作「遠い山なみの光」
これは、戦後間もない長崎が舞台の小説です。混乱の中でのたくましく生きる女性の姿を描いた作品です。
1986年に発表の2作目「浮世の画家」
こちらの作品は、戦前の日本人画家が主人公で戦争が終わり、世の中の価値観が変わる中、戸惑いながら生きる姿を描写した作品です。
1989年に出版された「日の名残」
第二次世界大戦の田園地帯にある邸宅を部舞台にした作品で、この作品でイギリスで最も権威のある文学賞「ブッカー賞」を受賞しています。
2000年作品「わたしたちが孤児だったころ」
ロンドンで育った孤児が探偵となって、日中戦争で揺れる中国にわたり両親の行方を捜す姿を描写しています。
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2005年出版「わたしを離さないで」
臓器移植の提供者となるために育てられた若者が、運命を受け入れながらも生き続けたいと願うさまを繊細に描いた作品。
2010年映画化されて日本でも公開されたので、ご覧になった方もいるかもしれません。
ドラマにもなって綾瀬はるかさん主演でやっていたので知っているかたも多いのではないでしょうか。
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2015年作品「忘れられた巨人」
老夫婦が何度も困難に直面しながらイギリスで旅を続ける姿を描写した作品。
この作品は、妻のローラさんのアドバイスを聞いて書き上げた作品だそうです。
妻の影響を一番受けた作品みたいです。
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まとめ
過去の作品をみると、日本人の両親に生まれ国籍はイギリスですが、日本の影響が小説に出ていることが、よくわかりますね。
日本人がノーベル文学賞を受賞したような気持になります。
来年こそは、
日本人からノーベル文学賞の受賞者が出てほしいですね。
村上春樹さんは、受賞できますかね?
まだまだ先ですが、
次回のノーベル文学賞を楽しみにしましょう。